2日続けて成年後見についての記事になりますが、6月27日朝日新聞朝刊の読者の投書欄です。
私は見逃したのですが、5月21日に「成年後見は身上監護を旨とせよ」という内容の投書があり、それに対するアンサー投書といった位置づけです。
元記事をネットで読もうと思ったところ有料記事だったので止めましたが、おそらく専門職後見人が就任したところ、後見人の業務である「身上監護」と「財産管理」のうち、身上監護は殆ど行わず、財産管理についても家族からすると納得のいかないとものだという不満の投書だと思われます。
後見制度は、専門職後見人が就任した場合の融通の利かなさ、家族の期待とのズレ、報酬負担の重さなどが普及を阻む最大の理由であり、投書の内容も成年後見制度の典型的な問題点を指摘したものだろうと推測します。
しかし、かと言って親族後見人の場合には、横領などの問題が増えることが目に見えており、そこに成年後見制度の難しさがあります。
アンサー投書は4つ取り上げられており、それぞれ考えさせられるものでした。
①の「保佐人に自由を奪われた伯母」ままさに専門職後見人の典型的な問題点と言えるでしょう。
(保佐人は後見制度の中では本人の程度が後見を必要とするよりは軽い時に就任します)
それにしても本人が財産目録や収支状況報告書を見たいと言っても見せてもらえないというのは本当でしょうか?
ちょっと理解できませんが酷い話です。
後見制度では本人のための財産管理とは言え、家族はもとより本人の意向にすら沿わない形で後見人等により法律行為が行われる(あるいは行われない)ことが少なくありません。
②の「成年後見 公的機関で担っては」はまさに今、国の方針に沿って地方自治体で進められている施策と言えます。
但し、人員と予算の壁は厚く、予定通りには進んでいないのが現状です。
投書にもある通り、私も専門職後見人の方に話しを聞くことがありますが、自分の役割は「財産管理」であって「身上監護」は家族がするものという認識の方が少なくありません。
言ってみれば本人の代わりに「家計簿」をつけるだけで月額数万円の報酬?という疑問にもつながりかねず、本人やご家族には不満が募りがちです。
③の「法曹に身上監護を期待されても」は、専門職後見人サイドからの意見です。
立場上、中々本音を言う機会が少ないと思いますので貴重な意見です。
身上監護は、ケアマネージャーや社会福祉士に任せるべきという主張は、得意分野という観点からするともっともです。
それと専門職後見人は否定的に取り上げられることが多いですが、本来、専門職後見人も数が足りません。
今は報酬の問題等があり後見制度はそれほど普及していませんが、これが月額数千円程度の比較的低廉な報酬で良いとなれば、現在の高齢者の人数に対して専門職後見人の数は圧倒的に足りなくなるのは明らかです。
役割分担という観点は非常に重要です。
④の「市民後見人の育成を急ぐべきだ」は後見人不足という問題に対する一つの回答であり試みです。
投書の最後に書いてありますが、結局のところ人口が減り高齢者が増える日本では「困ったときはお互い様」、つまり社会で助け合うという形をとるしか方法はないと思います。
実際、少しづつですが弁護士や司法書士ではない、市民の専門職を育成する試みが始まっています。
市民後見人に対する監督や教育、報酬といった問題はありますが、皆で支えあうと考えるのであれば、方法はこれしかありません。
ある意味、老々介護の様な感じになるかもしれませんが、手は限られているのです。
但し、その時には後見を受ける人にも覚悟が求められるかもしれません。
つまり至れり尽くせり面倒を見てもらうことは難しいと理解してもらい、社会の一員として後見を受けるという意識が必要になります。
至れりつくせりが希望であれば自助、要するにお金をたっぷりと溜めて顧問弁護士なり専属のケアマネージャーなりを雇えばよいわけで、それが出来ない人は当然我慢することも必要だと理解した上で後見を受けることが求められます。
この辺りは厳しいようですが、社会に余力が無いという前提に立てば避けて通ることのできない議論だと思います。
少し前にやはり朝日新聞に連載されていた「教えて!成年後見制度」についてまとめた時も、現状の問題点とそれを解決するための手探りの施策の紹介といった感じで最終的にこれという結論は出ませんでした。
しかし誰もが年を取るわけで、年を取れば遅かれ早かれ判断能力は鈍ります。
おちおちボケてもいられないという世の中をどうするのか?
私自身も社会問題として、そして自分のこととして関心を持っていきたいと考えています。