マラドーナ死す!

フットボール界のレジェンドであるマラドーナが亡くなりました。

60歳と若いですが、薬物やアルコール中毒、かなりの肥満体形と長命にはならない予感はありました。

私のマラドーナの記憶は、よく言われる日本で開催された1979年のワールドユース世界大会(なんとNack5スタジアムの前身である大宮サッカー場でもプレイしたとか!)や「5人抜き」と「神の手」で有名な1986年のワールドカップメキシコ大会(アルゼンチンが優勝)ではなく、1990年のイタリアワールドカップです。

86年大会は日本でも遠い世界で行われているサッカーの世界大会という程度で報道はされていましたので、記憶自体は微かにあるのですが一生懸命観戦した記憶も無ければ、そもそも当時の日本において一般の人がワールドカップをテレビ観戦する術は殆ど無かったと思います。
(当時、我々世代が世界のサッカーに触れることができたのは、三菱ダイアモンドサッカーぐらいでした。なんと一つの試合の前半・後半を2週に分けて放送する30分の番組でした)

イタリアワールドカップではマラドーナ率いるアルゼンチンはディフェンディングチャンピオンとして登場するも、メンバーの世代交代が遅れ苦戦の連続でした。

辛うじて勝ち上がった決勝トーナメント1回戦では優勝候補のブラジルと対戦し、これはもうコテンパンに攻められました。
記憶違いがあるかもですが、ブラジルのツートップはのちに日本でもプレーしたカレカとミューレル。
これはもちろん正真正銘のワールドクラスです。

何度もきわどいシュートを放たれるもゴールポスト直撃などギリギリのところでしのぐアルゼンチンでしたが、後半の後半ぐらいの時間帯にようやくマラドーナがセンターサークル付近でボールを持ちます。

動画を見返していないですが、その時のアナウンサー(当時のワールドカップ実況なのでNHKの山本アナだったでしょうか?)のセリフが確か「マラドーナ、久しぶり」だったと思いますが、それくらいこの試合のマラドーナは徹底的にマークされて自由にボールを触ることが出来ませんでした。

この時のアルゼンチンはマラドーナのワンマンチームの様相もあり、マラドーナさえ封じればというのがブラジルの目論見だったのかもしれませんが、とにかくマラドーナがボールを持つと、ブラジルの4人のディフェンダーがおびき出されるかの如くマラドーナの周りに集結してきました。
ただ誰もタックルに行けないんですね。
スルスルとマラドーナが細かいタッチのドリブルで前進します。

そしてディフェンダーの包囲網がマラドーナを捕らえようとしたそのときにマラドーナからのスルーパスがディフェンダーの股間を抜き左サイドでフリーで待つFW選手へと渡りました。
このFWがクラウディオ・カニーヒアという金髪ロン毛の高速FWで、その後準決勝のイタリア戦でも値千金の同点ゴールを決めるなど活躍し、まさにこの大会のアルゼンチンの生命線でもありました。

カニーヒアがキーパーとの一対一をかわし、無人のゴールへと流し込んだこの得点が結局決勝点となり、アルゼンチンがブラジルを下した試合でした。
(イメージとしてはオリンピックで日本代表がブラジルに勝った「マイアミの奇跡」ぐらいのワンサイドゲームでした)

ところでこのシーン、よく見るとパスを出した直後に倒されたマラドーナは悔しがって地面を叩いてるんですね。
マラドーナとしてはパスを選択したのはあくまでも次善策で、本当は自分でゴール前までボールを運ぼうとしていたのがよく分かります。
また結果的に囮となったマラドーナに本能的に吸い寄せられてしまった4人のブラジルディフェンダーの一人が、後にジュビロ磐田でもプレーをするドゥンガです。

このときはまだ若手で圧倒的なスタミナと運動量でブラジルの中盤を支えましたが、この時のプレーは母国で激しく非難され、その汚名を雪ぐのは次のアメリカワールドカップまで持ち越されます。(大会途中で不調のライーに代わりキャプテンに就任し優勝)

サッカーのワールドカップはこの90年イタリア大会から欠かさず見ていますが、今日までの30年間を振り返ると、思い浮かぶのはこの90年のワールドカップのマラドーナと、94年アメリカ大会のバッジョ(イタリア)です。

もちろん日本代表の試合も祈るように応援をしましたが、記憶は古いものほど鮮明だったりするのか、私がワールドカップを思い出すときにいつも最初に頭に浮かぶのはこの時のマラドーナと94年のバッジョのナイジェリア戦です。(偶然にもどちらも決勝トーナメント1回戦の試合です)

フットボールのスーパースターの系譜は長く続いたメッシ・クリロナの時代が終わろうとしていますが、マラドーナをこの二人と比較してどうかという話しは本当にナンセンスだと思います。

ただ恐らくアルゼンチンの人にとって、今よりもずっと世界が広かった時代にマラドーナは母国にワールドカップをもたらしてくれた英雄であり、しかも伝説の「五人抜き」と「神の手」の試合は、わずか数年前の82年にフォークランド紛争で実際に戦争をしたイングランドが相手です。
よくサッカーは戦争だと言われますが、本当の戦争相手をサッカーでやっつけたのですからアルゼンチンの人の留飲の下がり具合はいかばかりか。
これはちょっと想像が出来ません。
(フォークランド紛争はイギリス軍が勝利して終わっています)
以前は大統領に就任するとの噂もありましたが、サッカーという括りでは語りきれない偉大な存在だったのだと思います。

合掌。


おそらくYouTubeには上記の試合もアップされていると思います。
私の記憶違いもあるかもしれませんので、もしよろしければご覧ください。

 

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